

昭和11年7月8日〜10日までの3日間、与謝野晶子女史がご来山された折りに十八首の短歌を詠われました。これらは歌集「白桜集(はくおうしゅう)」に納められています。
■ 解定の板とこだまの中に降る 姥懐の山の 夏の雨かな
■姥懐山七月八日涼しくて 雨気の籠めたる うばのふところ
■西すれば三河に入るがごと長く 北は木曽路に 入る如き廊
■禅師より休みどころに賜はし 広間の前の もろもろの山
■五十僧籠り給へる禅堂の 斜めに見ゆる 坊の雨かな
■大般若転読をする勤行に 争ひて降る 山の雨かな
■大禅師合掌をして受けたまふ 粥座に我れも 加はれるかな
■龍王の杜にまさる樓台を 仮居に借れば やまぬ雨かな
■迎ふべき居士の宿所を襷して 浄めたまへる 方広寺衆
■五百体御仏今日は霧と云ふ うすものを著て 在ます山かな
■似ぬ如し俗の無言と御寺なる 出離の人の いはざる行と
■雨の日となりて水月道場の 人にも近く なる心かな
■白絲を紡錘に巻きたる形する 泰山木の よき蕾かな
■山の雨半僧坊の権現の 白くゆゆしき 羽団扇の紋
■東南の夕明りある客坊の 第三階の 雨のゆふぐれ
■奥山のしろがねの気が堂塔を あまねくとざす 朝ぼらけかな
■大禅師八十歳の朝夕に 祖師の阯をば 忘れたまはず
■平安をうちに念じて立ち給ふ 禅師見がたく なる車かな
方広寺の境内には御開山無文禅師の歌碑があります。
■霧深く 山の入り江は 海に似て 波かと聞けば 松風の音
■谷ふかく 橇のかけはし たえはてて たよりなきをそ たよりとそする
■老いそとて 心ゆるすな 名そたたん 我が住む處は 姥が懐
【漢詩】
山中楽勝豪家富 山中の楽は豪家の富に勝れり
三伏松風清肺肝 三伏の松風は肺肝を清くす
冬夏元来唯一衲 冬夏元来唯一衲
世間悩熱不相干 世間の悩熱に相い干ら不
宗良親王は、無文禅師の兄君にて後醍醐天皇の皇子です。
歌集「李花集(りかしゅう)」と「新葉和歌集(しんようわかしゅう)」を選集している当時一流の歌人であり文化人でありました。
■おしむとも 涙に月も 心から ぬれぬる袖に 秋をうらみて
この御歌は、後醍醐天皇が崩御されたことを惜しんで作られたものです。
悼ましく物悲しい心のせつなさを読まれています。
方広寺の境内には後醍醐天皇の歌碑があります。
■見しあきに いろこそまされ もみじはの
うつろうかたや なをしぐるらむ
ゆっくりと山中を見れば、楓の林が紅葉、黄葉となり、夕暮れ時の夕日お重なりとても美しい。やがて風に揺らいで「ハラハラ」と散り行き見事である。
■昏鐘や 一打一打に 散る銀杏
この句は、有馬朗人氏が、平成18年10月の「観月の夕べ」において披露されたものです。 有馬先生主宰の結社「天為」の有志と方広寺奉賛会の有志によって、本堂前に建てられました。
石は、宮城県産出の伊達冠石です。
1930年 大阪生まれ
1947年 静岡県立浜松第一中学4年修了
1953年 東京大学理学部物理学科卒業
1989年 東京大学総長
1998年 文部大臣
1999年 科学技術庁長官
2004年 文化功労賞


「念ずれば花ひらく」
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからからか
となえるようになった
そうしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった
坂村 真民
※坂村真民先生の“真言碑”は、本堂の奥側、観音堂の横に有ります。
1909年(明治42年)、熊本県荒尾市に生まれ、玉名市で育つ。
8歳の時、父親の急逝によりどん底の生活に落ちる。5人兄弟の長男として母親を助け、幾多の困難と立ち向かい、甘えを許さぬ一徹さを身に付ける。
昭和21年から愛媛県で高校の国語教師を勤め、65歳で退職。以後、詩作に専念する。
2006年(平成18年)12月11日、永眠。享年97歳。
主な著書:「坂村真民全詩集」「朴」「念ずれば花ひらく」「自分の花を咲かせよう」など多数。